須磨の句碑 放哉・須磨寺 * | |
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須磨寺は真言宗須磨寺派大本山で、本尊は聖観音。 平安時代初期に光孝天皇の勅願寺として聞鏡上人が 開山、1100年以上の歴史がある源平ゆかりの寺で、 「須磨のお大師さん」として親しまれています。 住所:神戸市須磨区須磨寺町 4-6-8 電話:078-731-0416 アクセス:JR「須磨」駅下車 徒歩 13分 山陽電車「須磨寺」駅下車 徒歩 5分 公式ホームページ:http://www.sumadera.or.jp/ |
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尾崎放哉(1885-1926)は、関東大震災の翌年、 大正十三年(1924)に須磨寺大師堂の堂守となりました。 「小生の如き正直の馬鹿者は社会と離れて孤独を 守るに如かず(知人宛書簡)」 と、京都一燈園で托鉢生活に入った翌年のことです。 昼寝起きれば つかれた物の かげばかり 放哉 放哉は酒癖が悪かったようです。有能な堂守ではなかった、 と推測されます。9ヶ月後には須磨を出て、 福井県小浜の常高寺、小豆島の西光寺南郷庵と流転、 翌年4月、孤独のままの生涯を終えました。 放哉は有季でなくともよい自由律俳句の代表的俳人で、 種田山頭火と並び称されています。 「咳をしても一人」「春の山の後ろから煙が出だした」 などの句を作りました。 俳子の添え句は、 古寺に 放哉ひとり 咳ひとつ 堂守の 夜はさびしか 咳ひとつ です。 |
上写真は須磨寺大師堂 | |
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尾崎放哉の句碑は、須磨寺大師堂の前にある池 (敦盛首洗いの池・左写真)の淵に建っています。 こんなよい月を ひとりで見て寝る 放哉 碑は昭和34年4月7日命日に建てられ、字は師の 荻原井泉水が筆をとりました。 上掲の句は、見たまま感じたままを、なんの技巧も施さずに 素直に表出した句で、読む人に心が透き通るような 不思議な感銘を与えます。 「こんなよい月」は、敦盛が討たれた源平の世にも、 呑んだくれ放哉の世にも、変わらずにあって…、 そこに何か違いがるとしたら、いつの時代でも、 「こんなよい月」に心を打たれる人と、それほどでもない 人とがいる、ただそれだけのことなのかもしれません。 俳子の添え句 名月は 堂谷が池に 浮ぶべし 月出でて 影も舞ふなり 能神楽 月光へ 須磨一弦の 琴調べ 俳子 |