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  ・神戸観光名所歳時記 福原京跡と兵庫津の道
       写真集< 鵯越からの道 >(4) 夢野 ・福原京跡への道T *
藍那・相談ヶ辻で軍議が開かれた結果、
 ・土肥実平主力軍は進路を右にとって、
    白辺路を南進して須磨をめざすことになりましたが、
 ・進路を左にとった義経搦手軍は、藍那・相談ヶ辻から
    どのように兵を進めたのでしょうか。
    現地探索を続けることにしましょう。

左写真は山田町藍那・上小野の道。
   藍那・相談ヶ辻の標高は 278m。
   星和台7丁目は相談ヶ辻から 800m離れていて、
   標高が 324m(標高差約 50m)です。
上小野の上り坂を越えると、星和台7から先は緩やかな下だりです。
   鵯越墓園北入口は、星和台7から 900m離れていて、
   標高が 307m(標高差 17m)です。   


星和台7からイヤガ谷川源流沿いを南東の方向に下りて来た義経が、
   義経馬つなぎの松がある現・高尾山地蔵院に行くためには、
   現・鵯越墓園北門近くで鵯越古道から南に逸れて、
   高尾山の尾根筋に入らねばなりません。

   高尾山地蔵院の標高は 375m。
   藍那・相談ヶ辻と高尾山地蔵院とは
    3.5km離れていて、標高差が上り 100mです。

左写真中央右端が星和台7の峠。
   鵯越墓園北門近く(写真中央あたり)から道なき山道を行き、
   写真撮影地点を経て高尾山地蔵院をめざすことになります。


                    
が、高尾山地蔵院にたどりつけたとしても、
 ・須磨に行くには、白川・大歳神社の標高は 172m。
   高尾山地蔵院と大歳神社は 3km離れていて、標高差が下り 200mです。
   (白川の近くは緩やかですが、高尾山近くは急坂です)
 ・鵯越筋に出るには、
   鵯越墓園南門の谷の標高は 160mで、
   高尾山地蔵院から 2.2km離れていて、その標高差は 210mです。

開戦当日未明、まだ暗い内に出立しなければならない義経には、
   高尾山地蔵院より先に行く道がありません。
義経が藍那・相談ヶ辻で兵を南東寄りに転進させたのは、
   高尾山地蔵院に行くためではありませんでした !

 左写真は高尾山地蔵院近くから見た須磨。


             
義経はどの道を行ったのでしょうか ?
   その答えは、高尾山北面の地に立ってみれば、
   すぐに見つけることができます。

義経は、鵯越古道に沿って、藍那・相談ヶ辻から
   高尾山北面近くまでやって来て、高尾山北面の尾根筋を行かず、
   鵯越古道を南東の方向にそのまま直進、
   イヤガ谷川沿いを鵯越筋に向けて進軍しました。

左写真は北区山田町藍那瀬戸42(標高 300m)。
   右側の山が高尾山(北面)で、左崖上が星和台。
   イヤガ谷川は、写真・道路沿い、
   金網のすぐ向こう側を流れています。


              


左写真の撮影地は、
   イヤガ谷川の最源流・星和台7(標高は 324m)から
   東南に1.2km離れていて、その標高は 300mです。
   左写真右側の山が高尾山(北面)で、
   その左側の山がイヤガ谷東尾根です。

イヤガ谷川の上流(星和台)は、写真撮影地から、
   高尾山とイヤガ谷東尾根の山間(写真中央部)に
   向かって緩やかに流れています。
   その水量も多くありません。 


                                     


イヤガ谷川の上流を星和台2丁目から俯瞰すると、左写真のようになります。

   写真右寄りの通信塔が建っているのが高尾山の頂。
   イヤガ谷川は、写真右下から、窪地沿いに
   写真中央左寄りに向かって、緩やかに流れています。

義経の時代には、このイヤガ谷川に沿って
   鵯越筋まで鵯越古道が通じていました。


        鵯越道がどこを通っていたのかについては、
   「鵯越道は、…六甲山系への入り口部分は会下山(神戸市兵庫区)の
   背後になり、登り口は旧西神戸有料道路とほぼ重なっています。
   そして、旧有料道路の途中で鵯越墓園へと入り、山中を星和台、
   藍那(神戸市北区)方面へと抜けていく道筋でした」とする説があります。
     「坂落とし」を歩く(その4) - 学芸員コラム れきはく講座
     https://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/
     hiroba-column/column/column_1312.html
この論拠となっているのは、「基図:参謀本部陸地測量部測量
   仮製 1/20,000地形図(1886年ごろ測図)」です。
この論拠の難点は、参謀本部陸地測量部測量の基図は、やや不鮮明な
   画像部分のみであって、基図の上に引かれた濃い実線(鵯越道)は、
   学芸員の主張をわかりやすく図示すために、学芸員によって事後的に
   書き込まれたものと推定されるところにあります。
後世の人が古地図に書き込みをするのは自由ですが、その論拠が
   明示されていなければ、現時点の地図に書き込みするのと、
   余り差異がないのではないでしょうか。





義経の時代の鵯越古道がどこを通っていたのかについては、
   本稿は上記説とは異なる説をとっていて、その論拠としているのは、
   @ 現地調査の結果、「旧有料道路の途中で
    鵯越墓園へと入り、山中」を抜けるのは容易でないこと、
   A 1836年に作成された新改正摂津国名所旧跡細見大絵図
     http://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/
     institution/library/arc/viewers/015.html の2点です。
1836年絵図を見ると、天王越の西側に二本の道が通じていて、
   本稿で論じている清盛参詣道と鵯越古道に該当してをり、
   清盛参詣道は菊水山とイヤガ谷東尾根の間の谷を、
   鵯越古道はイヤガ谷東尾根と高尾山の間の谷を、通っている
   ように描かれています(余り写実的ではない絵図ですが)。
清盛参詣道は、菊水山とイヤガ谷東尾根の間を流れる烏原川
   沿いを通っていました。この地固有の急峻地形と当時の
   土木技術の低さのために、そうなっていました。
義経の時代の鵯越古道もまた、高尾山の尾根筋ではなく、
   イヤガ谷川沿いを通っていたのではないでしょうか。


昭和・平成の世にあっては、
   @ 車は、夢野・白川線と長田・箕谷線を、
   A ハイカーは、鵯越墓園内の巡回バス道か、
     イヤガ谷東尾根の関西電力送電保守道か、
     のルートをたどるようになり、踏み跡の薄い鵯越古道は
   利用されることがなくなり、すっかり廃れてしまいました。 
現在では、イヤガ谷川の星和台源流と君影源流の合流点近くまでは
   幅3mの舗装道路がありますが、左写真の地(神戸市水道局
   星和台ポンプ場近く)で行き止まりとなっています。
振り向いて、来し方を撮影したのが左写真。左の山が高尾山(北面)。
   イヤガ谷川の川幅は約2〜3m。水深は数cm。
   この地の標高は 289mです。
イヤガ谷川は、ここから約 100m下流で、
   君影町を源流とするもうひとつのイヤガ谷川と合流し、
   高尾山(東面)とイヤガ谷東尾根との谷間を南向きに流れて行きます。


                                                      



左写真は、かつて鵯越古道が通っていたと思われる谷間。

写真右側が高尾山で、その稜線中央に見える通信塔が、高尾山の頂上。
   イヤガ谷東尾根は写真左側にあり、
   イヤガ谷川は写真撮影地の右側を、
   写真右から左に向かって流れています。 


                                                                 




神戸市水道局星和台ポンプ場から行き止まり道を南行すると、
   左写真の近くで道がとぎれます。

イヤガ谷川は、左写真の標高275m地点でも流れは緩やかで、
   道がなくても、この川沿いを行くことは可能です。 








イヤガ谷の谷幅が広い所には、歩き易い道があります。
   近くを流れる川の水量は少なく、流れは緩やかです。


高尾山頂の南南東 600mの地点のイヤガ谷川には、
   左写真のような小規模砂防堰堤があります。
2013年の平成の世(本稿執筆時)にあっては、
   このような小規模砂防堰堤が二ヶ所ほど造営されていて、
   山の急斜面を大きく迂回しなければなりません。
   このため、イヤガ谷川沿いの道は踏み跡がうすく、歩きにくくなっていますが、
   歩いて歩けない状態ではありません。

義経の荒武者たちは、イヤガ谷川沿いを伝い歩きして、
   容易に鵯越筋にでることができたと推測されます。

少し前までは「神戸最後の秘境」と言われていたイヤガ谷川沿いの
   ハイキングコースの詳細については、
   以下の「六甲やまある記」内ページをご参照ください。
  http://www.geocities.jp/yamaaruki17/iyagadanigawa.html


星和台源流と君影源流の合流点の標高は 280mです。
   この合流点から、小さな蛇行を繰り返しながら、
   南に直線距離で 2.3km(川の長さは約 4km)下ると、
   左写真の地(鵯越墓園無縁遺骨塚)に出ます。
   この川原の標高は 140mです。

なお、イヤガ谷川には、2つの砂防ダムの中間点近くから
   高尾山側に分岐する支流があって、その上流には滝があり、
   かつては龍樹院という修験道場として利用されていました。
   この滝の先は急崖で通行不能ですが、
   これは高尾山東斜面が急峻である証左ではあっても、
   高尾山とイヤガ谷東尾根の間を流れるイヤガ谷川
   本流沿いを行くのに障害となるものではありません。


それから、鵯越墓園無縁遺骨塚から更に 200m下流に行くと、
   左写真の氷室神社(兵庫区里山町・標高 140m)に出ます。
    (兵庫区氷室町にある氷室神社とは別の氷室神社です)
左写真の右側が鵯越墓園の急斜面で、左側すぐ下を
   イヤガ谷川が流れています。この地は鵯越筋の最北端で、
   この先には緩やかな坂道が続いています。
まとめ…イヤガ谷川は、高尾山とイヤガ谷東尾根の深くて狭い谷間を
   流れているにもかかわらず、水深が浅く、流れが緩やかです。
このイヤガ谷川沿いと高尾山の尾根筋とは、そのどちらを行っても歩行距離的に
   大きな差異はなく、急坂のないイヤガ谷川沿いを行く方がはかに容易です。

義経が藍那・相談ヶ辻で転進・進軍して行った先は、
   イヤガ谷川沿いに通じる鵯越古道しかなかった !!
   これが、高尾山とその周辺をくまなく訪ね歩いて調べた本稿の結論となりました。
          夢野・福原京跡への道Uへ続く

                      
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