福原京跡と兵庫津の道を訪ねて 


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  ・一の谷と福原京をつなぐ道(平家編)T / 一の谷と福原京をつなぐ道(平家編)U
  ・一の谷と福原京をつなぐ道(源義経編) 開戦前後の義経
                       義経の奇襲T / 義経の奇襲U
     (須磨一の谷関連:源平・歴史ウォーク 一の谷合戦・坂落としコース
  ・源平一の谷の合戦 余話
    平清盛参詣道と丹生山田の郷
    義経進軍路の謎  義経進軍路の概略 / 三草山の戦い / 義経と丹生山田の郷
            藍那〜鵯越
              写真集<鵯越からの道>(1)高尾山から須磨への道
                         須磨一ノ谷の道
              写真集<鵯越からの道>(2)鵯越筋への道T
                          鵯越筋への道U
              写真集<鵯越からの道>(3)藍那・相談ヶ辻
              写真集<鵯越からの道>(4)夢野・福原京跡への道T
                          夢野・福原京跡への道U
           土肥実平軍の進路 / 平家敗走の時系列
              写真集<塩屋から平家須磨砦への道T>
              写真集<塩屋から平家須磨砦への道U>
    生田の森の陥穽T / 生田の森の陥穽U
    一の谷の迷路
  ・神戸観光名所歳時記 福原京跡と兵庫津の道
     写真集 < 鵯越からの道 >(2)鵯越筋への道 T  *
義経は須磨には行かなかったのではないか?
   義経が開戦前夜、高尾山地蔵院に露営して、
   須磨以外の地に進軍したとしたら?
   それが可能だったかどうか、以下に考察します。

ここで最初に思い浮かぶのは、
   高尾山地蔵院から高尾山の斜面を南下して鵯越筋に出るルートです。

鵯越墓園内の道路網はよく整備されていて、
   周回バスが運行しています(詳細)。
   そのバス道を南下してみましょう。

左写真は鵯越墓園案内板。
   この案内板図の左寄りのバス道を上から下へ行くことになります。 


      




高尾山の南斜面。
   遠くに見えるのが神戸市街地。


                                 



高尾山地蔵院から墓園南門までは、
    長くて急な坂道が続きます。
    墓園南門に近づくにつれて、
    左写真のように、その傾斜は段々ときつくなります。



左写真は、
    この南下の途中で撮影した高尾山の南側斜面。

 高尾山の南側斜面は、西側斜面にも増して急峻で、
   人馬が登り下りできる所はどこにもありません。




左写真は、夢野・白川線(旧・西神戸有料道路)・丸山大橋の
    西端からた高尾山の南側斜面。

    中央左寄りの小高い丘が、
    鵯越筋・ひよどり展望公園(標高は 214m)。   


      

高尾山の南側斜面の様子を、
    墓園南門近くから撮影したのが左写真です。
    写真に写っている橋は山麓バイパス・源平大橋(全長 180m) です。 

ひとつ左上の写真が、高尾山の南側斜面を上から俯瞰しているのに対して、
    左写真は横から見ている南側斜面ということになります。


         
山麓バイパスの源平大橋を下から撮影すると、
   左写真のようになります。

撮影場所は南門近くのイヤガ谷川の川原。
   手前の墓は無縁遺骨塚。
   左が高尾山の南端斜面で、右がイヤガ谷東尾根。
   この間をイヤガ谷川が流れています。
   左写真では、山麓バイパスの源平大橋の下から
   無縁遺骨塚の右すぐ近くを流れています。
   イヤガ谷川の流れは緩やかで、川瀬の音もなく、
   あたりは鳥の鳴き声が聞こえるほど静かです。

高尾山の南端斜面は、断崖絶壁といっていいほど急峻です。  


          
高尾山の南側斜面沿いに
  夢野・白川線(旧・西神戸有料道路)が通っていますが、
  鵯越墓園南口近くは谷底が深くて、丸山大橋(全長約200m)がかかっています。

丸山大橋(標高 175m)を、その直下近くから撮影したのが左写真で、
   撮影地は長田区鶯町4(標高 154m)です。
   鵯越墓園へは、この丸山大橋入口から更に、
   長くて急な斜面を上らないと行けません。
丸山大橋(標高 175m)直下で最も標高が低いのは、新湊川上流の
   地で、その標高は132m、丸山大橋との標高差は43mです。

写真撮影地の長田区鶯町4(標高 154m)から
   鵯越墓園大仏(標高 215m)までの距離は 300mで、
   その標高差は 60mです。
丸山大橋直下で最も標高の低い新湊川の上流地点から
   鵯越墓園大仏までの距離は 450mで、標高差は 83mです。




左写真は、夢野・白川線(旧・西神戸有料道路)の
    旧ひよどり料金所近くから見た高尾山の南側斜面。

写真左寄りの濃い緑の山が高尾山南斜面。
    その右側の小高い山が鵯越筋の最も標高が高い所で、
    現在は、ひよどり展望公園となっています。


左写真は、長田区雲雀ヶ丘2 (標高210m)から見た
    夢野・白川線(旧・西神戸有料道路)。

    写真撮影地(雲雀ヶ丘2)は、
    ひとつ上の写真の中央右寄りの崖下にあります。
    夢野・白川線(旧・西神戸有料道路)は、
    左写真の山の最上層部近くのくびれた部分(標高226m)。
    左写真の山の標高は最も高い所で281m。
    写真撮影地からの距離は約 200mです。

夢野・白川線(旧・西神戸有料道路)が通っている
    高尾山南斜面は、ほとんど絶壁に近い急斜面になっています。




高尾山南斜面で、高尾山から夢野に行ける箇所があるとすると、
    左写真の鵯越墓園入口・鵯越碑(標高 175m)の地のみです。

この地の東300mにはイヤガ谷川が流れ、西 200mには新湊川が
    流れていますが、二つの川の間は地続きで、
    高尾山南斜面から、そのまま鵯越筋に出ることができます。




尾根道を通って高尾山地蔵院に行くためには、
    まず鵯越碑(標高 175m)から、
    左写真の鵯越墓園大仏(B・標高 215m)の近くまで
    行かないといけません。

鵯越碑の地(A)より鵯越墓園大仏(B・標高 215m)までの距離は
    300mで、その標高差は 40mです。


鵯越碑の地(A)・鵯越墓園大仏(B)から先は、
    左写真(C)を経て、左写真左奥の山の頂上近く(D)まで
    行くことになります。
鵯越碑の地(A)と高尾山地蔵院(D)とは 2.2km離れていて、
    その標高差は 200mです。
昭和・平成の世にあっては、高尾山・鵯越墓園内にはバス道が、
    鵯越筋には夢野・白川線が通じていて、上るも下るも容易ですが、
    高尾山は活断層活動によってできた若い山で、単一の山塊ではなく、
    途中に幾つかの谷が切れ込んでおり、どの斜面も急峻です。

鵯越筋から藍那に行く道(鵯越古道)は、この鵯越碑(A)から高尾山
    地蔵院(D)を経る尾根筋を通っていたとするのが通説ですが、
    上述の地理データを見るかぎりでは、
    義経が騎馬進軍するのは容易ではなかったと考えられます。
    (この詳細についてはこちらで論じています)


                       
左写真は、丸山大橋の遠景です。

写真中央左端とその右の山が高尾山。
   左から三番目と四番目の山がイヤガ谷東尾根。
   その右が菊水山です。
   左から三番目の山下あたりに丸山大橋がかかっています。

以上見て来た限りでは、高尾山の南側斜面は急峻で、
   義経の時代に人馬が登り下りできた道は、
   そのどこにもなかったと推定されます。

高尾山地蔵院から鵯越筋に抜ける道はないのでしょうか ?
   次は、高尾山の東斜面を探索します。

                                               
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