福原京跡と兵庫津の道を訪ねて


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  ・一の谷と福原京をつなぐ道(源義経編) 開戦前後の義経
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  ・源平一の谷の合戦 余話
    平清盛参詣道と丹生山田の郷
    義経進軍路の謎  義経進軍路の概略 / 三草山の戦い / 義経と丹生山田の郷
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                         須磨一ノ谷の道
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  ・神戸観光名所歳時記 福原京跡と兵庫津の道
         写真集 < 鵯越からの道 >(1)須磨への道   *

    写真集 < 鵯越からの道 > (1)須磨への道 INDEX…… 高尾山から須磨への道
                                       須磨一ノ谷の道
                 高尾山から須磨への道  *
源義経進軍路に諸説あるなかで、
   どの説も是認している史実がひとつだけあります。
   合戦前夜(旧暦2月6日夜)に義経軍が露営した地が鵯越であること。
が、鵯越のどこに露営したのか、
   そこから先の道がどこにつながっていたのか
   については諸説紛紛…。

義経が坂落しした地はどこか、この謎を解くには、
   鵯越の地がどうなっているのか、
   鵯越からの道はどこに通じていたのか、
   鵯越の地を実際に訪ねて、その詳細を確認する必要がありそうです。

左写真は、鵯越墓園(神戸市北区山田町下谷上
   字中一里山12-1)の入口に建っている鵯越碑(標高175m)。


                    

義経軍開戦前夜の露営地はどこか?
   まず、その第一候補としてあげられるのは、
   義経馬つなぎの松がある高尾山地蔵院だろう、と思われます。

左写真は、義経馬つなぎの松(義経公御陣の跡)
         撮影地:鵯越墓園内・高尾山地蔵院
 ・源平一ノ谷の合戦の際に、
    源義経が馬をつないだとされる松。
    1950年代に害虫被害に遭い、現在は切り株を残すのみとなっています。


                           



高尾山地蔵院は、高尾山(左写真・通信塔がある所)の
    登り口にあります。



左写真は 高尾山の山頂は、左写真のようになっています。

     高尾山の標高は403m、
    高尾山地蔵院の標高は 375m。
    高尾山地蔵院は高尾山から 200m西にあります。


                       
高尾山地蔵院から須磨一ノ谷に行くとすると、
   高尾山の西斜面を下るのが最短で、
   高尾山地蔵院〜しあわせの村〜白川〜一ノ谷の
   ルートを通ることになります。

左写真は、
   高尾山地蔵院のすぐ西横を通るバス周回道から、
   その西側を撮影したもの。
   写真中央に見えるのは、URひよどり団地。

URひよどり団地は、
   高尾山地蔵院の南西約1kmにあって、
   標高は 225m〜275mで、しあわせの村に南接しています。


                         

高尾山地蔵院直近の高尾山西斜面は、
   左写真のようになっていて、
   写真左から右にかけて斜面が急で、
   一見しただけで、登り下だりはできそうもありません。

神戸市民防災総合センターが、高尾山地蔵院の西 500mにあって、
   そのそばを通る道(神戸市道長田・箕谷線)の
   標高は 290m、高尾山地蔵院との標高差は80mです。   


                                                                
地蔵院から、この神戸市民防災総合センターに行くには、
   現在では、周回バス道を北西の方向に
   500mほど移動して、その標高 345m地点を左折し、
   鵯越墓園西門(標高 296m)に至る道があります。
   この左折点と西門の距離は280mで、
   その標高差は50mです。

左写真は西門に至る道の中間地点で撮影。 

義経が、この撮影地点近くを通って
   首尾よくこの西門に下山できたとしても、
   義経には更なる試練が待ち受けています。  


                                                                            
神戸市道長田・箕谷線の西側も急斜面で、
   左写真のようになっています。

左写真は、神戸市道長田・箕谷線沿いにある
   バス停「ひよどり台ホーム」から西側、
   しあわせの村方面を撮影したものです。
   写真中央の薄い青色がしあわせの村テニスコート。

バス停「ひよどり台ホーム」の標高は 303m。
   しあわせの村テニスコートは、
   その北西 450mの距離にあって、
   標高は 245m(標高差約60m)です。


                      
神戸市道長田・箕谷線の西側斜面を横から見ると、
   左写真のようになります。

左写真は、しあわせの村北入口道から
   南向きに撮影したもので、
   右下隅に見えるのが しあわせの村テニスコート。
   その上の薄緑色の山並みが須磨アルプスです。

しあわせの村テニスコートは、
   高尾山地蔵院の北西 1.3kmにあって、その標高差は 130mです。 


                        



しあわせの村の西側斜面(高尾山側)を、
   しあわせの村側から見上げると、左写真のようになります。

高尾山の西斜面は、いずこを見ても左写真のようになっていて、
   そのどこを通れば下山できるのか、
   そのルートを知っている人があれば教えてください。


                  
高尾山の西斜面がダメだとすると、須磨一ノ谷に行くには
   どのコースをとったらよいのでしょうか?

高尾山地蔵院の南西に少し緩やかな斜面があり、
   500mほど行くと、左写真の所に出ます。
写真中央左の山並みが須磨連山です。
   すぐ近くに見えますが、直線距離で 6〜 8kmあります。
このルートの問題点は、その距離もさることながら、
   写真撮影地直下の高尾山斜面が急峻で、
   その行く手を阻んでいることにあります。

写真撮影地から南西側 100mの地点に、
   ひよどり台中央北交叉点がありますが、
   その標高は278mで、標高差が 40mです。


                                                                        *
高尾山の西斜面から須磨一ノ谷に行く道は、どこにもないのでしょうか?
地蔵院よりバス道を 700mほど南下すると、
    道は鵯越墓園ねむのき地区でU字状のヘアピンのよう に
    大きく蛇行し、更にもう一度逆向きに曲がって、
    左写真の「蛙岩入り口」の地に出ます。
「蛙岩入り口」の標高は 305m。地蔵院の標高は 375mですから、
    700mほど南下して、その標高差は70mということになります。
義経の時代に、地蔵院より蛙岩に行くことができたかどうか、
    本稿は、それに否定的な立場に立っていますが、
    バス道を通すために地形が大きく変わってしまっていて、
    今はその当否の確認のしようがありませんので、
    ここでは、蛙岩に行くことができたと仮定して、
    その蛙岩辺りから須磨一ノ谷に行く道があるかどうか、
    調べてみましょう。


                                                                   
左写真は源平史跡のひとつとされる「蛙岩」。

蛙岩は、風化した岩が数匹の大蛙と多くの子蛙のように
    見える奇勝の地として知られ、夜になると
    この岩が巨大な蛙となって旅人を襲ったと伝えられ、
    鵯越七不思議の一つに数えられています。
この蛙岩の地を白川・多井畑方面への分岐点とする説があり、
    現在、この地よりひよどり台6団地へと
    ハイキング道が通じています。

 この道を行ってみることにしましょう。


                                                           




左写真は、蛙岩からひよどり台6団地へと通じる
    ハイキング道の入り口。


                                                                




左写真は、両側が深い谷になっている尾根道。
     手前側が蛙岩。


                                                

左写真のような樹木の茂る中を下って行きます。
     この地では、日の光は樹木にさえぎられて
     地面まで届かず、木々の緑は、
     カメラ目線でも黒ずんで見えます。

写真手前側が蛙岩。


                                                                         
ひよどり台6団地口の階段。
   この地の標高は260m。
   標高 310mの蛙岩からは340m離れていて、
   その標高差は 50m。

蛙岩から ひよどり台6団地に下る道は、
   ハイキング道の整備されている現在でも
   騎馬行軍には不適で、義経の時代に獣道があったとしても、
   未明の暗がりの中を行軍するのは大変だっただろうと
   推測されます。


                                                            
それから、もし仮に、義経がこの蛙岩直下の
   南南西斜面を下り降りることができて、
   ひよどり森林公園近くの地にたどり着けたとしても、
   そこから先も、そう簡単ではありません。

左写真の旧・西神戸有料道路(北区ひよどり台〜須磨区東白川台・
   梨川橋)は、運転手が緊張を強いられるほどの急坂があります。
   写真撮影地点(標高245m)から西に 1.6km下った
   車交叉点(梨川橋)の標高は145mで、標高差が100mです。


神戸市道長田・箕谷線を、ひよどりインター前から
   約 1.3km南行した所に、「いわやま東大橋」があります。

   「いわやま東大橋」の谷は深く、
   「いわやま東大橋」の上から西側(車・名谷)を俯瞰すると、
   左写真のようになっています。
   ひよどりインター前は写真右側。車・名谷は写真中央にあります。

   ひよどりインター前の標高は245m。
   いわやま東大橋はの標高は187m。
   いわやま東大橋から400m西にある車の標高は119mです。


ひよどり南 3-2の地より高取山を望むと、左写真のようになります。

   妙法寺は写真中央右端にあります。
   写真撮影地の標高は、215m。
   妙法寺小学校は、この地より南南西に 1.8km離れていて、
   標高は 65mです。.

未明時の義経進軍路としては、常識的に考えるかぎりは、
   ひよどりインター前から名谷や妙法寺に行くルートも、
   不適であったとしか思えません。 



高取山(328m)から高尾山を望むと、左写真のようになります。

   写真中央の一番高い所が高尾山(403m)。
   その手前の一番大きく映っている送電鉄塔の標高は 207mで、
   高尾山からは直線距離で 2.7km離れています。


左上写真の西斜面を高取山(328m)から見ると、
   左写真のようになります。
   右上の町並みがひよどり南町で、手前の町並みが妙法寺です。
左写真が、高尾山の南西斜面となります。
   高尾山(義経馬つなぎの松・写真右上)を出立した義経が、
   妙法寺(写真左下埒外)に出るためには、この斜面のどこかを
   下りおりなければなりません。
そして、義経が午前 8時に須磨一ノ谷奇襲を敢行するためには、
   この坂を日の出前までに下りていなければなりません。
   なぜなら、この坂下(標高約110m)から須磨一ノ谷(標高50m)
   までは、まだ直線距離で4,25km(註)も残しているからです。
 (註)妙法寺から須磨浦公園まで現・六甲縦走路を行くと、10.2km。
    須磨連山の北裾野を行って鉄拐山の尾根(標高225m)を越える
    とすると、尾根伝いに六甲縦走路を行くより、距離も時間も、
    かなり短縮できるとは思いますが…



高尾山から須磨に行く道があったのかどうか、
   須磨側から高尾山を見てみましょう。

左写真は横尾山(312m)馬の背近くから望んだ高尾山(403m)。
   写真中央右は高取山(183m)。
   市街地は手前から横尾町、妙法寺、白川。
   その先の緑の上にあるがひよどり台団地で、
   その更に上の小高い所が高尾山(403m)。
   横尾山から高尾山までは、直線距離で 5kmです。


左写真は、ひとつ上の写真の拡大写真。
   高尾山山頂は写真左上。

義経の時代には、
   鵯越・高尾山から白川に至る道はどこにもありませんでした。
   また白川の地は、今ほど平坦ではありませんでした。
   義経は、左写真のどこをどう通って、
   鉄拐山の尾根筋にたどり着くことができたのでしょうか?
   武具に身をかためた義経主従 70騎が未明に進軍できた道は、
   本当にあったのでしょうか ? 

   謎は深まるばかりです。

                                                    
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